紀元前10〜8世紀頃、イタリア人の祖先と言われる高い文明を有するエトルリア人がトスカーナに住み始めます。その後ローマ帝国、ゲルマン民族の支配をへて、11世紀頃にはトスカーナ有数の都市となります。フィレンツェでは早くもこの頃から芸術活動が盛んになり、13世紀後半頃からはチマーブエやジョット、ダンテといった後世に名を残す偉人たちが現れ始めます。
12世紀初めにフィレンツェは自治都市コムーネとなります。14世紀に入り、それまで絶対であった教会、教皇庁の権威が衰退していくなか、人々は中世的な神中心のあり方に疑問を抱き、人間中心の現実世界を謳歌しようとする気風が高まります。その結果、他に先駆けてこの地でルネッサンス運動が興り、無数の偉人・天才たちを輩出し、政治的にはメディチ家のリーダーシップのもとでフィレンツェは空前の平和と繁栄の時代を迎えます。 |
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フィレンツェ
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1494-1530フィレンツェは一時共和国という形態をとりますが、その後再びメディチ家が実権を握り、1570年にはコジモ1世がトスカーナ大公に任ぜられ、フィレンツェは第二の黄金時期を迎えます。しかしこれも長くは続かず1737年にメディチ家の家系が途絶えると、オーストリアのロレーヌ公爵家に地位が引き継がれることとなります。
1860年にイタリア全土で興ったリソルジメントにより、1861年にヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の治世のもと、初のイタリア統一が成されます。フィレンツェは1865年から5年間イタリアの首都としての機能も果たします。
しかしながら、統一後も誇り高いフィレンツェ人は、根強いカンパニリズモに支えられ、独自の文化と伝統を守り続けています。イタリアはどこでもそうですが、フィレンツェ人のお国自慢は殊の外有名で、ダンテと同時代人である年代記作家ディーノ・コンパーニは「空気は爽やか、住人たちの風俗は良好、女性は美しく、着飾りも良く、家屋はことに美しく・・・」と自国を愛でています。 |
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